ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ zknsです。
Facebookやってますか? Facebook。
やってないって人はこのブログを読んでいる方の中では少ないと思いますけれども。
んで、誕生日がくると「誕生日おめでとうございます!」というメッセージやタイムライン投稿で自分の通知が埋まるわけなんですが、先日Facebookの誕生日メッセージについて考える機会があったので、自分のメモ程度にまとめておきます。
経緯
何があったかというと、Facebookでちょっと難解(?)な投稿を私がしたことに発端します。
普段から「三十路ですし( ー`дー´)キリッ」とかネタ的に三十路であることをそれとなくアピールしているので、みなさん「26? ああ、ポケモンのレベルか~」と思うだろうというのを前提に投稿したのですが、どうやらそうではなかったようです。
コメント欄はこんな感じに。(画像は加工しています)
なんていうかこう、確実に誕生日だって勘違いされてるよね・・・?
で、流石にこれはまずいと思い、コメントでネタばらしします。
それでも誕生日おめでとうとコメントをしてくる方々が。
で、実はこの後、同い年なのにメッセージで誕生日おめでとうと伝えてきた方もいたり・・・
普段のキャラからして、わかっていて出落ち的に言ってくる人たちではないのです。
なんというかこれ、考えさせられるなぁと思い記事を書き始めました。
現状
以前から私はFacebookの誕生日メッセージはどうも慣れない文化だなーと思っていました。
よくあるのは、「今日はAさんの誕生日です!」と通知やサイドバーに表示されて、Aさんにメッセージを送ったりAさんのタイムラインに「誕生日おめでとう!今年もよろしく!」みたいなメッセージを(時にはキレイな画像を添えたりして)書いたりするやつ。
なので、自分が誕生日のときはFacebookが通知だらけになるし、知り合いの方が誕生日になると、その人の知り合いが自分のタイムラインに続々と登場してきます。
私はそもそもFacebookにべったりではないことと、そこまですごく仲いい人が多くないので(笑)、基本誕生日メッセージはしないのですが、自分が誕生日になったときがかなり憂鬱になります。
というのも、タイムラインに書くという行為は、「私がAさんに誕生日メッセージを送った」ことを他の知り合いにも知らしめる行為と同義になりますよね。それに対して無言のプレッシャーみたいなものを感じるからなのです。
例えば私がAさんに誕生日メッセージをタイムラインに書いたとします。
それをBさんが見ていたとします。
Bさんの誕生日に、私がメッセージを書かなかったら、Bさんはどう思うでしょう?
おそらく、まめに誕生日メッセージをする人というのは、その恐怖に苛まれているのでは?と私は考えています。
(そうでない人もいるでしょうけれどね。)
私はどうしてるか
基本的に私は、Facebook友達の誕生日が通知されても全無視です。
「おめでとう」を言いたい人には、Facebookを通さず直接言えばいい話だからです。
しかも、「私はこの人の誕生日祝ってるのよ~♡」とアピールする理由もこれっぽっちもありません。
どうしても直接会えないのであれば、プレゼントを宅急便で送ります。
それだけの価値がある人にしか誕生日メッセージは伝えていません。
自分が誕生日の場合も同じ。
タイムラインにメッセージを書かれようが、メッセンジャーで祝われようが、個別に返信することはまずありません。
例えば「おめでとう」以外の返信するべき話題があれば別ですが。
で、誕生日の次の日あたりに「個別に返信しなくてごめんね、ありがとう」という内容の投稿をして終了。
これが一番平等で、自分の労力も最小限で済む方法として、自分は採用しています。
だって、自分の誕生日っていう特別な日にFacebookにかじりついて一人ひとりメッセージ考えて返す労力を割いたとしても、その人達が何かしてくれるわけでもないですし。
誕生日メッセージだけでつながりが維持できると思わないほうがいい
特に今回の私のような事件(?)があると、かなーり微妙な心境になります。
具体的にいうと、「私三十路になったって前の誕生日に投稿したはずなのに、みんな覚えてないのね」となるからです。
あなたたち、誕生日コメントして「あなたのこと見てるよ」アピールをしたつもりが、とんでもない地雷踏んでますよ?と。
あと、他人のことってわりとみんな興味ないんだな、というのも感じました。
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