脱・うつ病。うつ病が治った話6 いよいようつ病が治っていく、その経過

 

ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ zknsです。

架橋に入ってきた「うつ病が治った話」も終わりまであと少し。
前回の話からだいぶ間が空いてしまいましたが、また書いていきます。

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今までのお話
脱・うつ病。うつが治った話1 うつになったきっかけ
脱・うつ病。うつが治った話2 うつ病になった自分の姿
脱・うつ病。うつが治った話3 通院・投薬
脱・うつ病。うつが治った話4 メンヘラと対人関係
脱・うつ病。うつが治った話5 治り始めたきっかけ

 

フェイスブックとの出会い

当時、私は上田の観光に深くかかわるところでパートとしてお仕事をさせていただいていました。
そして私は偶然にもITに比較的明るかったため、Facebookページの運用を任されたのです。

Facebookで広がった世界は、私には非常に新鮮で刺激的なものでした。

 

まちづくりをしている人たち

特にお友達として仲良くしてくださったのは、上田の観光産業に携わる人や、上田愛にあふれた地元の方たちでした。

今でこそ上田での知名度もかなり高くなっているプロジェクトに携わる方々も多く、そのエネルギーに圧倒された記憶があります。
また当時の職場は観光に深く携わる場所だったため、Facebookの中だけでなく、実際にお会いする機会も多かったので、生の経験やお話を聞けたり、実際に催しにお声かけいただいたりとつながりが深くなっていきました。

その時お知り合いになった方々のホームページなど一部ご紹介します。

 

六文戦士ウエイダー | 真田幸村の故郷上田のご当地ヒーロー

うえだNavi WEB-TOP 上田のフリーペーパー

まちつた(正式名「街と自分の『伝えたい!』を伝え隊」) 上田のコミュニティラジオ局(USTREAM)

 

他にも地元企業の方や議員さん、市役所の方や店舗を経営してらっしゃる方など、沢山の方にお行き合いし、幸いにも今に至るまで仲良くさせていただいています。

私もかなり前から上田のとあるお祭りに毎年スタッフとして参加していたこともあり、元々こういったまちづくりには非常に興味がありました。そういったことも重なり、フィーリングが合ったのだと思います。

 

上田真田まつり総合プロデューサー、小林浩太郎氏との出会い

そのなかでも特に私の人生が大きく変化していったきっかけとなった人は、上田真田まつりの総合プロデューサー、殺陣サークル眞代表の小林浩太郎さんでした。

殺陣サークル眞

殺陣サークル眞 殺陣頭 浩太郎(Twitter)

 

「やりたい」の一言がきっかけだった

発端はFacebookで私がこんな投稿をしたことにはじまります。

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投稿したというよりももはや、2chまとめブログからの転載。
でもこれを見たときに「いいなあこれ、やってみたい」とぼんやり思ったのでした。

当時はまだ大河ドラマが「真田丸」になることなんて夢にも思っていない2012年。
ただぼんやりと思ったことでしたが、そこに食いついてきたのが小林さんでした。

 

戦国茶屋プロジェクト スタート

小林さんの声掛けで「やってみない?」と集まったメンバーはおよそ10名と少し。
初めてお会いする方も多く、小林さんはじめ飲食店を経営されている方、デザイナーさん、教育関係、歴史関係の団体責任者の方等々…何も持っていない私には恐れ多いほどの肩書をお持ちの方が沢山あつまってくださいました。

今思えば夢のようなことですが、当時は「言い出しっぺ」ということでプロジェクトの代表者に自動的になったものですから、それどころではありませんでした。
当時私はうつ病であることをカミングアウトしてはいませんでしたが、恐らくFacebookの投稿などを見て、察している人はたくさんいたのではと今になっては思います。

当時はまだ20代なかば。しかもメンヘラとなれば判断力もあまりなく、何から行動していいかわからない状態。
そんな状態の私をすべてサポートしてくれたのが小林さんでした。

そしてこのプロジェクトは「戦国茶屋 海野」と名前を与えられ、第一回開催へと進んでいきます。

 

「お客様は殿様です」

プロジェクトを進める中で私が譲れないことがいくつかありました。
それが「お客様は殿様です」というコンセプト。

“武将カフェ”と聞いて思いつくのは、甲冑を着た、織田とか徳川とかの源氏名がついたイケメンが女性をもてなしてくれる、というのはぱっと思いつくところかと思います。
いわゆる秋葉原などにあるロールプレイングカフェなどもそういった物が多く、「キャラクターが居るお店にお客さんとして行き、世界観を味わう」ものが多い。

私がイメージしているものは「お客様は一城の主として家臣たちにもてなされる」というものでした。
スタッフは名前はなく、お客様を「我が主」としておもてなしをする、名前すらないモブにすぎないのです。
一番最初のコピペとなるべく同じ世界観を再現したいというのが私の願いで、それを現実に落とし込むにはどうしたらいいか。そこが焦点となりました。

会場の設営、家臣(スタッフ)の衣装や振る舞い、お出しする料理、会計のタイミング、パフォーマンスなど。
私は何しろ経験などないので、理想ばかりを連ねていきました。

一人では絶対に実現など出来ないことばかりでしたが、沢山の方の協力があり、少しずつ形になっていきました。

 

催しに関わってくださった方たち

上でご紹介した方以外にも、特にお店や個人事業を経営されている方も多くいらっしゃいました。

会場をお貸しいただきお膳もつくっていただいた 香青軒 社長の尾澤さん
ポスターやロゴをデザインしていただいた 田中屋プラスデザイン たなかさん
ドリンクなどの関係をすべて受け持ってくれた レストラン柴崎 柴崎さん

ここにあげた方以外もたくさん手伝っていただきましたが、普段はお金を得てやっていただいていることをボランティアでご協力いただきました。
なかなかこんなこと頼んでもやっていただけないので、本当にありがたいことです。

それ故に失礼なこともたくさんあったと思います。
なんというか・・・今思うと・・・ほんとすみません・・・

 

言い出しっぺのプレッシャー

プロジェクトをすすめていくにつれ、肩書上でもなんでも自分がリーダーなので、なかなかしんどくなってきます。

リーダーがするべきことは主に「判断・決断・調整」。
うつ病の人が一番苦手とする部分です。

が、自分が「やりたい」といってやり始めたことなので逃げるわけにもいかず、実施する日までなかなかにしんどい日が続きました。

ここではじめて自分が「人に仕事を振るのが苦手」ということに気づきます。
気づいたところで当時はどうしようもないので、半泣きになりながら夜更かしして作業をしていたことを覚えています。

ですが、家族の協力があったり、恋人のサポートがあったり、小林さんはじめメンバー全員のサポートがあったりでどうにかこうにか開催までこぎつけることができました。

 

無事開催にこぎつけた、その後

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ご協力いただいた小林さん率いる「殺陣サークル 眞」と、家臣役を引き受けてくださった皆様方。

2012年11月11日、「戦国茶屋海野 第壱回」は無事開催となり、僅かではあったもののお客様にもお越しいただけました。当時のレポは以下から。
当時からもう全然更新していない過去の遺物となりつつあるので、だいぶ恥ずかしいですがw

戦国茶屋 海野 ~お客様は殿様です~ 開催報告

ちなみに私はこのときから小林さん(とその界隈の方)に「局(つぼね)」と呼ばれるようになりましたw

 

そして2013年1月。3年以上も飲み続けていたうつ病の内服薬を飲まなくなりました。
2013年5月に上田市北国街道・柳町で開催した「戦国茶屋 海野 第弐回」が行われる頃には、主治医の先生に「zknsさん、もう来なくてもいいですよ」と治療終了を言い渡されました。

「戦国茶屋 海野」プロジェクトを背負い、開催までの成功体験を通じて、私はうつ病から脱することが出来たのです。

 

「うつ病だから出来ない」は思い込みである

セルフイメージと自信の回復

私がうつ病を克服できた大きな要因として、この2つが挙げられます。
・セルフイメージの回復
・自信の回復

うつ病になるとセルフイメージはどうしても「こんな自分じゃダメだ」と毎日毎晩自分に言い続け、それがさらに回復への道を閉ざすこととなってしまいます。
自分はダメだから、挑戦すらできない。大体はうつ病をわずらっている人の家族や近しい人も「無理をさせてはいけない」と配慮するのが普通だと思います。
それがなおさら「やりたい」と思ってもなかなか挑戦できない、そういう環境にならない要因の一つだと私は考えます。

私の場合は「やりたい」と自分で言いだしたことをうまく波に乗せてくれた周囲の人がいたこと、メンツに恵まれたことなど、幸運に幸運が重なったからこそ、成功体験をしセルフイメージを回復させることができました。
なので、すべてのうつ病で苦しむ人が同じようなやり方で治るとは言えません。

でも、「うつ病だからできない」のではなく、「ひとりではできないけど、周りの協力があれば必ずできる」。
何か一つでも達成したと感じられるものがあれば、ずたずたになった自信は回復していくものです。

「なんだ、薬も飲んでるし病院にも通ってるけど、出来たじゃないか!」

その体験はとても大事で、「もしかしたら薬がなくても眠れるかもしれない、大丈夫かもしれない」につながっていきます。

ただし、達成することは必ず「本人がやりたいと言いだしたこと」。
周りがハッパをかけたとしても、この体験にはつながりません。

何故かと言うと、どんなにつらくても「自分が言いだしたから最後までやりとげたい」という気持ちが僅かにでも残っているから。
一人では挫折してしまうことでも、周囲の人が理解し支えることで、必ずやり遂げることができる。

そんな風に思います。

ただ、やはり私の限られた条件下での経験であって、すべての人にこのやり方が当てはまるかどうかがわからないのが難しいところです。
うつ病に関連する本を数冊読んでも、ネットで調べてみても「うつ病はまず休むこと」を書いてあることが多く、私の経験のようなことを記述しているものは見たことがありません。(そういう本に出会っていないだけかもしれませんが)

なのでもしこの記事を読んでチャレンジしようとした場合も、本人の限界をよく見極めて、無理はしないというのを忘れないでいただきたいです。

 

最後に、大事なこと

うつ病にするのも、うつ病を治すのも人です。
これだけは言えます。

私の場合は「家族」「恋人」「背中を押してくれる人」。
この3つが揃っていなければ確実にうつ病のままでした。

うつ病を治す糸口となるのは、わずかでもいいので人との関係性をもち続けること。
家族や友人もそうですが、極端なことを言うとネットで知り合った友人でもいいと思います。とにかく自分の世界の外側とつながりを持っておくこと。
それが思わぬところでいい縁を持ってきてくれることもあります。

 

なので、私はリアル・ネット関わらず、今まで知り合ったすべての人に感謝しています。
都合よくひどい扱いをされた人もいますが、それも今の自分を構成する要素。
そんなふうに今は思えます。

 

 

さて、だいぶ書きなぐって長くなりましたが、今日はここまでにしたいと思います。
あんまり校正もしていないので読みにくかったかと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

次回はセルフイメージの回復後、試行錯誤したことなどを書こうと思います。

 

 

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