ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ zknsです。
うつ病シリーズ第4回です。今日は対人関係とかその辺を書いていきたいと思います。
今回は自分自身のコンプレックスに触れる話題だったので書きにくいことも多く、時間がかかってしまいました。
かといって適当に書いても意味が無いので、ゲロ吐きながらMac叩きました。
おそらく今現在の私しか知らない方が読んだら幻滅するだろうなぁと言う話題も含みます。というか今回はほとんどそういう話。
幻滅したくない人(いるのか?)にはあんまりおすすめできないエピソードです。
今までのお話
脱・うつ病。うつが治った話1
脱・うつ病。うつが治った話2
脱・うつ病。うつが治った話3
もくじ
今までの友人との距離
基本的に私はあまり交友関係が広い方ではありません。
うつになる前、それこそ中学生くらいから特定のグループに所属したりすることもなく、特に仲の良い親友とだけ深く付き合っているような感じでした。
うつになった当時一番仲が良かったのは高校の時の友人です。
彼女は根気よくお茶や食事に誘ってくれ、元気の無い私をなんとか元気づけようとしてくれていました。
「XXしたほうがいいんじゃない?」とか、彼女なりの解決法を私に教えてくれていましたが、当時の私はそれすらもできる見込みがないため、その言葉さえ責め苦に思えました。
言われれば言われるほど辛くなったというのが本音です。
社会人になってから必ず1ヶ月に1回は会っていた仲だったのに、その時ばかりは会いたくないという気持ちがとても大きかったのを覚えています。
これもまた別の高校時代の友人ですが、お母様を亡くしたという同じ境遇の男友達がいて、彼ともちょくちょく会っていました。
彼との話題は別に解決策を求めるものではなく、共感することが目的でした。
つらいものを「つらい」と認めてもらうこと、それでもいいんだと思うことがその時には必要だったんだと。
うつの時にかぎらず、何か悩み相談をされるときと言うのはそういうもので、まずは悩んでいることを認める段階ができないと次のステップには行かない。
彼がいてくれたのはそういう意味で当時の私にとって大きな意味があったと思います。
SNSで知り合う人たち
当時私がやっていたSNSは大きく分けて2つ。
もはや懐かしのmixiと、2ちゃんねるから派生したmixiのパロディSNSでした。
(Twitterもやってたけどあまりリアルな接触はなかったので省きます)
当時のmixiは出会い厨、いわゆる男女の出会いを求める輩の巣窟。
インターネットでの出会いは危険と騒がれ始めていた時代でしたが、そのへんの危機感が当時の私には薄く、ガンガン会っていました。
もちろん相手は出会いを求めている、もっと言うと一晩の相手を探している男性であることが多く、そういう相手を引っ掛けるのはあまりに簡単すぎるゲームでした。
この話を進める前に、うつ病の女性はすぐ抱けるという都市伝説、メンヘラ=ビ○チは本当かという話をしないといけないと思いますが、大人の事情があるのでぼかしつつ書いていきますw
ここでは書きやすいのでうつ病=メンヘラと換えて書いていきます。
(細かいことを言うとメンヘラとうつ病は別物ですが、それはまぁ置いといて。)
結論から言うと、メンヘラは貞操観念の薄い人が多いとは思います。全てがそうとは言えないし、どこからそうなるのかの基準なんかは人それぞれなので定義しませんが、私自身は今から考えるとそうだったと思います。
明らかに正常ではありませんでしたし、今考えるとまったく理解しがたい行動です。
なぜそういう事態に陥るのかというと、行為をすることに自分の価値があると思っているから。
もっと言うと、そういうことにしか他人は自分に価値を見出してもらえないと思い込んでいるから。
仕事もしていない、何も生み出していない、社会に参加していない自分を必要としてくれる場がそこにある。
それだけが理由です。
しかも、ネットで知り合うのは非常にたやすく、自分の素性を明かさなくても良い場合が多い(一応良くないことをしている自覚はある)。
メンヘラにとってはこれほど都合のいいツールはありません。
まとめブログなどでよく見る「メンヘラと一晩共にしたら粘着されて困った」というのもかなり高い確率であり得ることだと思います。
メンヘラにとって行為を繰り返すことは「繰り返し必要とされている」ことと同義。
自分にとっては都合がいいだけでも、そもそもそこを履き違えているので「理解してもらう」ことは不可能に近い。
おそらく想像される以上にSNSには隠れメンヘラがたくさんいます。しかも、かなり出会いやすい状態でごろごろいます。
そういう相手に粘着されるとかなりの時間と労力を消耗することになりますので、そういう覚悟がない人は本当に気を付けたほうがいいと思います。
また、スキンシップ・性行為をすることで「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されるそうで、これももしかしたら原因の一端を担っているのかも。
最近読み始めた本「仏教と脳科学」の「はじめに」で著者の有田氏は
「意欲や快情動を発言させる赤の心」のドーパミン
「注意・集中や不安な情動の青の心」のノルアドレナリン
「快(=ドーパミン)と不快(=ノルアドレナリン)を抑制し平常心を作る緑の心」のセロトニン
としてセロトニンを紹介しています。
つまるはなしが、セロトニンが分泌されると安心感したり、幸せを感じたりするのだそう。
このあたりとか、「セッ○ス セロトニン」とかでぐぐると色々出てきます。
(しかし、伏せ時にするとなおさら卑猥に見えるのはなぜだろう)
もっとも、多くの場合は「漠然としたさみしさ」を埋め合わせるために出会った人に拒否されないためには、結果的にそういう関係になってしまうというのが入り口になるパターンです。
私の場合はうつになる前段階から様々な要因があり、そういう状況になるまでに時間はあまりかかりませんでしたが、健康になった今現在はまったく理解できない行動です。(大事なことなので二回言いました)
また、その要因についてはうつ病とは全く関係ないので、また気が向いた時にジガタリするかもしれません。
2ちゃんねるで会った個性的な人たち
前項で書いた通りネットで人と会うのが怖くなかった私は、mixiだけでは飽きたらず、2ちゃんねるのオフ板にも手を出し始めました。
2ちゃんねるは説明することもないと思いますが、日本国内最大級の匿名掲示板サービス。
「ニュース」「趣味」などなどかなり細かくジャンルごとに分かれていて、「オフ板」はオフ会をするための話題でやりとりする掲示板、という感じでしょうか。
SNSで誰も見つからない時はオフ板で、みたいな感じでした。ひどいものです。
2ちゃんねるで知り合う人はSNSほど出会いを求めている人は多くなく、会うまで男性か女性か、何を求めて会うのかほとんど情報がないまま「はじめまして」となるので、なかなか個性的な人たちと出会うことが出来ました。
また基本的に「その場限り」。
連絡先の交換をすることは男女ともにほとんどありません。
常連やいわゆる「ヌシ」みたいな人もいましたが、基本的には皆いい人でした。
そのなかでも印象的だった人を何人か書き出してみます。
背の小さいおしゃれな彼女
彼女は「上田城千本桜まつりに行かないか」という募集に応えてくれた人でした。
年齢はおそらく同じくらいでとてもかわいらしく、しかしものごとをはっきり話す女性でした。
彼女とは屋台で少し軽食を食べた後、音楽の趣味の話になり「SoundHorizonが好き」というのが一致して、その直後カラオケに。
なかなかサンホラ好きの人とカラオケというのは普段の生活でも難しいのに、申し合わせていない状態でそんな人に出会えたというのが印象的でした。
バイセクシャルのお兄さん
県内で社会人をしているという彼。歳は3〜5つ上くらいだったと思います。
彼は男性も女性も愛すことが出来るという人だったので、非常に興味深く彼の話を聞きました。
確かに差別されることも多いけれど、多くの場合女性は男性、男性は女性しか愛せないのに、自分は両方愛することが出来る。
それってすごく得してると思うんだよね。
そんなことを言っていたのがなぜかとても羨ましく思えるくらい、人生を謳歌しているようでした。
彼とは2回ほど会った気がしますが、結局本名も連絡先も交換しませんでした。
おかずのり氏のうまい棒キャラバン
(仮)ラシーン乗りのおかずのりがうまい棒配りで全国行脚するようです – 全てのはじまり
VIPでレスが付いた数だけうまい棒を買い、買ったは良いがどうしようか、というわけで全国行脚しながら配り歩くという、わりと有名だったと思うこの企画(当社比)。
wikiが残っていましたのでご参考に。
やっていることはバカというか、「うまい棒を配る」という目的だけで全国行脚するなどというのは並大抵のことでは出来ない、恐るべきバカ(褒め言葉)です。
予想通りかなり熱量のある人でしたし、顔も見たことがない人たちのはずなのに全国どこに行っても歓迎され、当時にしては非常に不思議でした。
まだSNSもそんなに流行っていなくて、彼が出てきたのも匿名掲示板。
その全く顔も名前も見えない世界で、ここまで愛される人がいるというのが不思議でしかたありませんでした。
デザイナーのお姉さんともやし体型の彼
善光寺灯明まつりオフで出会ったこの二人。
めずらしくサシではなく3人でのオフ会でした。(サシを好む人は少ないので、これがふつう)
灯明まつりを見に行ったはずなのに、権堂のマクドナルドで3人でマック食べた記憶しかない。
このオフでは珍しく互いに連絡先の交換をして、その後もしばらく連絡を取り合い、悩み相談をしたりくだらない話をしたり、時にはまた会って食事したりしていました。
他にもたくさんの個性的な人に会いましたが、共通して言えることは、「リアルな私を知らないからこそ言えることがある」ということでした。
それまでの私がどんな人生を送ってきたか、普段の自分がどれだけダメか、そんなことは全く知らない人たちなので、何もカッコつけず飾らず自然体でいられたのではないかと思います。
それはおそらく自分以外の人も同じで、ちょっと他人には言い難い事情を抱えていたり、悩みがあったりする人が比較的多かった気がします。
そういう人は、表現はよくないですが、傷を舐め合う相手を探していたのかな、とも。
ここまで対人関係について書いてきましたが、「うつ病」と言いながらかなりアクティブに活動してますねw
自分ですごく不思議ですが、きっと、誰かに会うことで多少なりとも安心感を得ていたんだろうと思います。
アクティブうつ病・・・?(それはもはや病ではないのでは・・・)
このとき私がとった安心を得るための方法は、正常になった今考えるとどれも刹那的で表面的で打算的で、その一瞬だけの安心をわずかずつ積み重ねていたような感じです。
当時の私にはそんな方法しかなく、病をわずらっていたこの数年間に、どれだけ自分を粗末にしたかを考えると頭を抱えてしまいます。
でもこのうつ病という時期にこれだけたくさんの、しかも普段の生活では会ったことがない人に会ったことは、今の自分の思想にかなり影響を及ぼしているのも事実。
そして不思議な事に、この時期に知り合った人のなかには今現在、Ingressをしてる人がいるということ。
世の中どこでどう繋がるか全くわかりません。
(その節は大変お世話になりました)
次回はうつが治り始めたきっかけの話をしようと思います。
3 comments
自身の最大の理解者、支援者は自身。
どうぞ大切に大切にして下さい、これまでのあなた、これからのあなた、全てのあなた。