ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ zknsです。

前回の記事、キワドイ話題が多かったからか非常にアクセスが伸びたんですがw、あれを書き終わった後にうつ病に関する本なんかを読んでいたら、色々思うことがありました。

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ちなみに読んだのはこの本です。

基本的にこの本は「こんなアプリ作ったから使ってみてね!」という宣伝が半分くらいなんですが、そもそもうつ病とはどういう状態なのか、うつと躁うつ病の違いと特徴、それぞれの傾向や行動パターンなどがまとめてあります。
なので、「うつ病ってこんな病気なのね」「こういう傾向があるらしい」とか知る入門書としては良いのかな、という内容でした。

 

前回しつこいくらい「メンヘラ」と表現していましたが、感覚として一般に言われがちなメンヘラというのは、躁うつ病、あるいは、自分の価値が全く分からなくなっていて、それを他人に確認したくなってしまうピークの状態を示すんじゃないかなと感じました。

うつ病とメンヘラの違いについては厳密に書いても仕方ないですし良い悪いとかいう話ではないんですが、自分の経験上、いわゆる「メンヘラ」と言われる人は他人と関わる機会が多いぶん、治る可能性は比較的高めなのかもしれません。
とはいえ、本人の周りの環境がかなり左右するのは当然の話なんですが・・・

 

そんなわけで、ここからはこのシリーズの本題である「うつが治った話」を書いていきたいと思います。

 

今までの話はこちら

脱・うつ病。うつが治った話1
脱・うつ病。うつが治った話2
脱・うつ病。うつが治った話3
脱・うつ病。うつが治った話4

鬱が治り始めたきっかけ・1
心療内科を転院

私が初めに通っていた病院は精神科でした。

上田で心の病を見てくれる病院と言ったらここ、という場所で、おそらく市内の方なら大体の方が知っているだろうという病院ですが、ネガキャンしたいわけではないんですが本当にひどいものでした。(→病院関係の話は3へ

流れ作業のような診療、とにかく薬をたくさん処方する。
症状を分析しないまま、とにかく表面に出ている症状を薬で抑え込むというような印象(※あくまで印象)であり、1年通っても病状は全く改善せず、それどころか入院をすすめられるまでに私はなっていました。

 

そんな時、「駅前にいい心療内科があるらしいから、そっちに行ってみたら?」と母に勧められ、そちらに転院してみることに。
これがきっかけで私の闘病は少しずつ上向いていきます。

そのクリニックは完全予約制で、予約は常に1か月以上待つような状態でしたが、初めて訪れたときにはその明るさ、清潔さに驚いたのを覚えています。(つまり、それほど前の病院はひどかったということなんですが・・・・。)

診察は必ず予約をし、一人あたり15分。その限られた時間の中でも適切にヒアリングをし、状況を説明してもらい、適切な提案をしてくれる。
それまではただ処方される薬を飲むだけだったので、とても新鮮で、なにより安心できるクリニックでした。

 

今もらっている薬は何のための薬なのか。
今している治療は何を目標とした治療なのか。

患者と意思を共有して目標を立てることで、それまで先が見えなかった通院の日々が徐々に変化していきました。

うつが治り始めたきっかけ・2
当時の恋人との出会い

うつ病がよくなったり悪くなったりを繰り返している頃、彼氏ができました。
その顛末はまぁ書いても仕方ないので別の機会にしようと思いますが、この彼との出会いが病状をかなり変えていってくれたと今でも感謝しています。

 

彼はひどいメンヘラだった私に、厳しくも惜しみない愛情を注いでくれたと思います。

うつ病に関して彼のスタンスは「根性論」だとか「精神論」だとか、かなり偏見めいたものがありましたが、それが結果的には良かったんだなと今になると思うところもあります。

 

具体的には、

  • 薬は極力飲まない
  • 最初から無理と言うな

このふたつが大きな柱だったと思います。

 

薬については前述したとおり、闇雲に出されるままに服薬しているのは良くない。理屈がわかっていてかどうかは今となっては不明ですが、正しかったと思います。

 

最初から無理と言うなというのは、当時の私にとっては無理難題のハードルでした。

何せセルフイメージがメタクソになっているわけで、自分が何かを達成できるとか、当時は夢にも思っていませんでした。

 

そんな中、彼は私の能力を正しく見積もり、そのもう少し難し目のハードルを少しずつ与えるというのを繰り返すという、ある意味荒療治をずっと続けてくれました。
一番はとあるウェブサイトを作った時。

私は学生の頃少しHTMLとCSSをかじっていて、WEBに比較的興味がありました。
そのなかでウェブサイト構築のお手伝いをさせていただいて、まぁちょっと一悶着はあったのですが完成し、こんな自分でもできるんだなぁ、とぼんやり思ったのを覚えています。

 

一番印象的だったのは、地元の浴衣コンテストに出場した時のことです。

 

忘れもしない、2012年8月5日。
この日は父の命日でした。

8月5日は毎年上田では大きな花火大会があり、その関連イベントとして浴衣コンテストが某商業施設で行われ、出てみることになったのです。
それまでの私であれば人前に出るなんてことは出来ませんでしたが、なじみの呉服屋さんが閉店セールをしていたりしてタイミングもよく、彼に喜んでもらえればという思いもあり、思い切って出てみることになりました。

 

どうせ出るならということで一番気に入った青い矢絣の浴衣と白の帯を購入し、着物に合うような派手すぎない化粧をし、馴染みの美容室で髪をセットしてもらい、もちろん呉服屋で着付けをしてもらい、着物で綺麗に見える歩き方を呉服屋の女将さんに聞きました。
それはすべてが「勝つ」ための、「絶対に入賞する」という目標のための行動でした。

出場者は20名ほど。
出場者のほとんどは流行りの花柄の浴衣に、茶色く染めた髪、マスカラもりもりのバッチリメイク。

私の浴衣は矢絣と言って幾何学模様です。「はいからさん」の来ているあの模様。
目立つのは必至だったので、きっと入賞はできると確信していました。

 

ステージに上った歩き姿。喋る時の滑舌、表情。
すべてを「勝てるように」工夫して、私は見事優勝を勝ち取ることが出来ました。

 

まぐれだったかもしれないし、運が良かっただけかもしれません。
でも私にとってこの経験は「目標のための行動をすれば実る」という実体験になったわけです。

動機が「彼に喜んでもらいたい」というきっかけだったとはいえ、それ以上に得るものがありました。
この「自分が能動的に行動し達成した」という経験は、その後の闘病に大きく影響してきます。

 

これをきっかけに、ずたずたになっていた私のセルフイメージは少しずつ回復を見せるようになっていきました。

 

次は、「きっかけ」を得た私が次に自分自身に課したこと、大きな転機となったことを書いていく予定です。