ドモヽ(´Д` ) ( ´Д`)ノドモ zknsです。
うつ病になって治った話、8回目です。たぶんあと2回くらい書かないと終わらない気がしています。
今日は、「あなたもう通院しなくていいですよ」と言われてから自分がやったことと、それを通して学んだこと、二度目の挫折までについて書いていきます。
これまでの話はこちらのカテゴリーから。
もくじ
うつが治ってからやったこと
自信を取り戻してからというもの、私は水を得た魚のようにやりたいことをやれるだけ片っ端からやっていきます。
北国街道柳町での茶屋
上田駅から徒歩20分ほどの場所に北国街道の宿場町であった街道があります。
そこにあるえんという店で、抹茶を立てて提供するというのを少しの期間やっていました。
その間に、前回うつが治るきっかけとなったイベント戦国茶屋海野の第2回を行ったりしましたが、最終的にはあまり儲からなくて(正確には場所を提供してくれる人とのビジネス観が合わなくて)やめました。
第31回上田真田まつり前夜祭 花魁道中
2016年大河ドラマで上田が真田で熱狂的になるまだ前のころ、上田真田まつり前夜祭がはじめてこの年行われました。
上田屈指の繁華街である袋町。スナックやバーが立ち並ぶその通りで花魁道中をやろうという話があり、花魁としてお練りをやらせていただきました。
この催しは主催の香青軒の尾澤社長や上田市青年会議所OBの方、賛同してくださった地元ヘアサロン、地元着物団体のなごみ会さんなどたくさんの方の協力があり実現。手作り感満載の花魁ではありましたが、とても良い思い出になりました。
これをやってみて、普段はあまり触れる機会のないスナックなど夜のお店のお姉さんやお兄さんなどがとても暖かく眺めてくれたり手を振ってくれたりして、祭りという非日常にあまり見かけない人たちも一緒に楽しみたいんだ、というのを肌で感じました。
この上田真田まつり前夜祭の花魁道中は好評らしく、今現在も恒例行事として行われているようです。
上田真田まつり音響スタッフ
前回書いた人とのつながりで、上田真田まつりの決戦劇の音響スタッフを始めました。
もともと父が音響屋だったので興味深く、また決戦劇の市民チームで音響スタッフは自分ひとりしかいないので、責任感を持って毎年できていると自分では思っています。
何より、「自分しかいない」ので頼られることが嬉しいのだと最近は感じています。
「やりたい」気持ちの根源
ほかにも、知り合いの選挙のお手伝いをしたりとか、Facebookの集まりに顔を出してみたりとか、お祭りに行ってみたりとか、人前で歌ってみたりとか、まあ数年後の今考えるとちょっと恥ずかしくなるくらいいろいろやってみました。
このブログ、もといPodcast「ほぼ月刊Ingress」を始めるきっかけとなった地元コミュニティラジオに関わり始めたのもこの頃でした。
今考えてみると、うつ病を患っていた間の自信喪失状態がなくなり「頼られる」「必要とされる」ことが快感になっていたのだと思います。
この時期になると、自分が自信をもってできることが何なのかが分かってきたので、あまり自分を粗末にするようなことはしないようになっていました。(まだ名残はありましたが)
2013年、auショップでフルタイムの仕事にありつき順調に仕事をしていた矢先、ついに私は運命のアプリと出会います。
Ingressとの出会い
2013年11月。私はIngressという位置情報ゲームを初めて知ります。
Ingressに関する説明については省きますが(Wikipedia: Ingress)、Ingressの凄いところは、ゲーム内の人間関係がリアルな交友関係として構築されていくところでした。
少し前の記事に書いたように、Ingressは一人ではなかなか楽しいところまでいけないゲームです。
もちろん自分自身も先人に教えてもらって楽しくプレーできるようになったので、「これは自分が長野のIngressコミュニティを作らなくては!」ということでコミュニティの立ち上げをしました。
この時も、他のイベントと同じように「何かやりたい熱」がほとばしっていたからこその行動だったのだろうなぁと思います。
コミュニティ立ち上げ後と二度目の挫折
コミュニティを立ち上げた後とその後の経過については色々あったので、まぁ以下の記事を見ていただくこととして。
Ingressのコミュニティ内外であったことについては語り尽くしてきたので、それ以外の側面で書いていくことにします。
コミュニティ管理がつらくなってきたことは、この記事風に言えば、モチベーションの根源となる「自信」がなくなってきたことがその原因であるといえます。
当時はコミュニティ内外でさまざな人間関係のトラブルがあったりしましたが、それと同時期に親戚が亡くなり、相続調停などがあった関係で家族がうつになってしまったりして、プライベートとしてもかなり負荷のかかった精神状態になっていたことも確かです。
この時にコミュニティ管理以外でプライベートでやろうと思っていたことがいくつかあったのですが、それもほとんど全て諦めざるを得ない状況でした。
それを決断したのは、「これ以上頑張るとマズい」という臨界点が見えたからです。
それがわかったのはやはり、以前うつ病をやっていたから。この感覚はヤバイ、というのを覚えていたからです。
支えてくれる人の見極め
当時、一番親身になってくれたタダノブの存在は本当にありがたいものでした。
うつ状態に逆戻りしそうになっていた私を水際でサポートし、より良い選択肢を与えてくれたのが彼です。
まずは「コミュニティ管理人を辞めること」そのために「業務を分散していくこと」「一人に責任が集中しないようなしくみにすること」を目標とし、忙しいながらもそれを一つずつ形にしていってくれました。
今現在は私に代わってコミュニティの代表を彼が務めていますが、外側から様子を見るとそれはすべて実現されているように見えます。
形はどうあれ、労働しなくても集団が崩壊しないのは良いリーダーなのであろうと個人的には思っています。
この経験を踏まえると、最終的に一番頼れるのは「信頼」と「知識」であると感じます。
タダノブは元々かなり本を読む人なので、どういったパターンがこの状況にはより良いのかという判断ができる人だったのだと思います。
「この人に任せておけば大丈夫」と、ほぼ手放し状態でも安心していられたことが、どれだけ私の支えになってくれたかわかりません。
当時私には相談に乗ってくれる人が何人かいましたが、その中でも頼る人を見極めるのは重要です。
実際に渦中になってしまうとなかなか冷静な判断は難しくなってしまうかもしれませんが、そういう状況になる前に、自分の周りにいる、特に親身になってくれる友人を大事にしておくことがどれだけ大切か、痛いほど実感しました。
タダノブはコミュニティ立ち上げ中期の管理サポートから始まりPodcastの相方として、またこのブログの共同管理をし、プライベートでもよく相談相手になってくれるよき友人、今ではもはや兄のような存在です。
次回はやっと今現在とまとめを書けそうです。
カテゴリ:脱・うつ病。記事一覧